病気の全てが恐怖ではない

病気は、恐ろしく悪いものである。病気は、肉体に異常が起きた状態である。病気は、絶対に治さなければならない。病気を治すのは、病院であり医師である。このような考えや、概念は、全くもって、間違っている事に気付かなければならないのです。

病気になる事は、決して、恐ろしく悪いものばかりではない。病気は、肉体に異常が起きた状態だけとばかりは言えない。病気になったなら、絶対に治さなければならない事もない。

病気になったからと言って、病院に行き、入院したら悪化した人だってある。だから、私は病院に行くのは嫌だし、病気は、自分の自然治癒力で治すのだから、病気などは怖くないし、大丈夫である。など、逆転の発想も必要と思われるのです。つまり、開き直りも必要なのです。

私の所へおいでになる方々の中に、病気であるから、何が何でも治して下さいと懇願する方があるのです。しかし、よく観察していると、その反対に、病気になってしまったのだから、病気になるのには何年も掛かってなったのだから、気楽に治したら良いやと述べている方々の方が、早く簡単に改善するものなのです。

この事を考えると、何が何でもとあわてた方より、あきらめて気楽に考えた方が良い事がわかるのです。この事実は、病気の事など、意識の中になくすと言う捨て身の心の表れなのです。よって、ストレスとなる事が最小限に鎮められ、良い結果になると考えられるのです。

病気に気を使い過ぎてはいないか

病気に対して気を使い過ぎてはいないか、検討するべきである。この事は多くの方々に見受けるのであるが、病気、病気と、気にし過ぎて、自分自身のエネルギーを病気に対して使い過ぎ、他の仕事などの部分がおろそかになっていないかである。病気になる方々を見ていると、病気になろうとする事に対して、異常なほどのエネルギーを費やしている事があるのです。エネルギーとは意識であり、思考そのものである事を忘れてはならないのです。

病気になろうとする事もまた、エネルギーの使い方にほかならないのです。病気になりたいなどと願う人は、絶対にないとの意見もあるでしょうが、例えば、私は病気が恐ろしいと思ったとしても、やはり、私は病気になりたいと願った事になるのです。なぜなら、病気を恐れている事が判明するのです。

即ち、病気に対しての恐怖に反応を示していることになるのです。つまり、思考や意識によるストレスを生じさせ、更には、肉体にも、ストレスとして影響を与えている事になるのです。

もっと、ひどい場合には、病気になったのなら、勉強もしなくて良いし、学校にも行く必要がなくなるので、病気になれば良いのだがと心の奥底で病気になる事を望んでいる場合や、会社に行って仕事をするのが辛いが、休めない。しかし、病気になったのなら、休めるのではないかと考えたりする場合などもあり得るのです。

更には、夫があまりにも理解がなく、わがままな性格であるから、自分が病気になったのなら、振り向いてくれるのではないかと思考する場合や、会社の上司の態度がおうへいなので、自分が休めば困るのではないかと思考する場合などもあり得るのです。

また更には、他の方々が仕事などの面倒をみてくれないので、自分は苦労をしているが、その苦労を認めてくれるようになるのには、自分が病気になったのなら、認めてくれるのでないかと思考する場合などもあり得るのです。

この事を考えると、いずれの場合であっても、病気になりたいと、エネルギーを使って願っているようなものなのです。この件については、例えば、親子関係から、夫婦の間柄を初めとして、様々な勤め先などの上下関係までが存在するのですから、それこそきりがないほどの事があり得るのです。

圧力的に期待を掛けすぎていないか

ところで、あまりにも圧力的に期待をかけすぎるため、ストレスとなる場合があるのです。例えば、親が有名大学を卒業し、有名な会社などに勤めている場合などに、子供に対しても、親と同じ大学を卒業させようとしたり、就職をさせようとしたりする場合などには、過大なる期待を寄せ、子供は、その期待に応えようとしても、応えられない場合などには、著しくストレスが生じ、身体や精神状態に異常状態が発生し、この発生したものが病気として変化する場合もあるのです。従って、子供に対して、過大なる期待をするべきであるか考えなくてはならないのです。

また、兄弟姉妹を比較している場合なども、過大なる圧力となり得ると考えなければならないような気が致します。何気ない事であっても、本人にとっては圧力となり、ストレスと感じる場合があるので特に注意が必要なのです。この場合の病気などには、アトピー性皮膚炎や喘息など、アレルギーに関する場合が多いようなのです。

また、精神的圧力となり、パニック症や人間恐怖症、閉じこもりや登校拒否、五月病や月曜病、うつ病なども同様なのかも知れないのです。この件についても、例えば、親子関係から、夫婦の間柄を初めとして、様々な上下関係などが存在するのですから、それこそきりがないほどの事があり得るのです。また、例えば、無言の圧力となっている場合もあるのですから、特に注意が必要なのです。

有名大学を卒業はしたが、自分の能力がないにも係わらず、無理をして有名企業になど就職をしようとして、自我意識のあり方事態、パニックを起こしている方々が時々訪れますが、この方々の場合には、あまりにも、自我意識が強く働いていると考えなければならないのです。これでは、簡単に改善するはずの病気や悩み事などからも、開放されることはないと考えなければならないのです。

自分に対して、期待が大き過ぎたりした場合においても、必要以上の負担が発生し、ストレスが増大してくるのです。よって、病気などとして現れてくることがあるので注意が必要なのです。このような前記の件は、職業の選択や男女関係の恋愛を初めとし、ありとあらゆる場合がありますので、特に注意が必要と思います。ようするに程度が問題なのです。

自分の事ばかり考えるのも考えもの

自分の事ばかり、考えるのも考えものと言えるのです。この方々の場合には、気のエネルギーを外部に出さず貯め込んでしまっているのです。エネルギーを貯め込んでしまったなら、チャクラの性質である外部とのエネルギーの交換がない事になり、その行為や、思考が重荷となって、心のストレスへと変化して、やがては、病気となって肉体に異常な状態として現れてくるのです。

この事は、前記した、お金の使い方の教訓とよく似ているのです。また、自分は太り過ぎたので痩せようとするのだが、食事は、今までと同じ量を取り続けているにも係わらず、面倒なので脂肪を燃やす運動はせず、エネルギーを使う事も拒否しているようなものなのです。余分についているものは排泄し、消費しなければ、願っても新しい事を起こす事は所詮無理なのです。

ところで、勝手気ままな生活をして、相手に多大な迷惑を掛けてはいるが、自分は元気であり、病気などには全く縁がないなどと述べているのも考えものと言える。この方々は、他人の事を考えないところこそ愛のない行為であり、思いやりのない行為である事を気付くべきなのです。

この方々の自我によって、周りの方々が多大なるストレスを感じ、やがては、そのストレスに耐えかねて精神的に追い詰められ、病気などになる場合も多いのです。この事を考えると、自我のあるがままに振る舞った行為が、他の方々の病気の原因を作っている場合も考えられるのですから注意が必要なのです。

呼吸回数が多いのも考えもの

呼吸回数が多い、脈拍が速いなども考えものと言えるのです。この方々の場合には、私が薦める瞑想や呼吸法、自律訓練などをする事によって、コントロールできるようになるのです。人間の能力を最大限に発揮するためには、呼吸の回数を減らし、心を鎮め、そして、脳より出ている脳波を、アルファ波状態にコントロールできた時に発揮できるのです。

ですから、能力開発などにおいては、第一に呼吸法。第二に自律訓練法。第三に心を鎮め脳波をアルファ波に。第四に成功イメージを思考するのです。

病気の場合過去に原因がある

ほとんどの病気の場合には、過去に原因がある。その過去を変えない限り、病気の改善は望めないのです。誰であっても病気になる原因は、過去の生活上におけるストレスや、食事などが原因である事に対しては納得するようなのです。

ところで、病気になってしまって病院に通い、医師にお世話になっても治らないのであるから、死ぬまで病気と付き合っていくしかないとあきらめている方が、ほとんど全員と言っても過言ではないようなのです。

多くの皆さんは、過去は過ぎ去った事であり、変えられないと思っているのが当たりまえのような気がしているのです。過去を変える事ができれば病気を治せるのだが、ではどうやって、過去を変えたら良いのか迷うのかも知れません。

過去についてよく考えてみれば判明するのですが、今現在もまた、直ちに過去となるのです。この件は、次のように考えれば納得できるはずです。今日のこの日は、明日になると、昨日と言う事になるのです。この毎日の積み重ねが、即ち、過去と証されているのです。

ところで、私達の多くは、過去は特別で、絶対に変えられないと思い込んでいるのです。しかし、現在の思考や意識、行動などを変える事により過去を変えた事になるのです。従って、誰であっても、過去を変えながら生活をしているのです。

ですから、過去を変えるのは簡単な事なのです。また、現在体験している事柄は全てが、自分自身が過去に思い描いた思考や意識、行動などの集大成であり現実化した姿なのです。前にも記しましたが、望んで病気になったのではないと思いますが、とにかく、強く心の中に描いた思考や、意識で過去に思った事が、現在になって現実として体験していると考えられるのです。

従って、病気を早く治して楽になりたいと願う事も、裏を返せばストレスが生じている事になり、病気になりたいと思っている事と同様になるのです。ですから、病気に関係のない事を思考したりして、意識を他に向ける事が必要なのです。この事を考えると、病気とは、自分の心の中で想像をして、造り出している事であると考えられるのです。

病気の場合過去に原因がある

ほとんどの病気の場合には、過去に原因がある。その過去を変えない限り、病気の改善は望めないのです。誰であっても病気になる原因は、過去の生活上におけるストレスや、食事などが原因である事に対しては納得するようなのです。

ところで、病気になってしまって病院に通い、医師にお世話になっても治らないのであるから、死ぬまで病気と付き合っていくしかないとあきらめている方が、ほとんど全員と言っても過言ではないようなのです。

多くの皆さんは、過去は過ぎ去った事であり、変えられないと思っているのが当たりまえのような気がしているのです。過去を変える事ができれば病気を治せるのだが、ではどうやって、過去を変えたら良いのか迷うのかも知れません。

過去についてよく考えてみれば判明するのですが、今現在もまた、直ちに過去となるのです。この件は、次のように考えれば納得できるはずです。今日のこの日は、明日になると、昨日と言う事になるのです。この毎日の積み重ねが、即ち、過去と証されているのです。

ところで、私達の多くは、過去は特別で、絶対に変えられないと思い込んでいるのです。しかし、現在の思考や意識、行動などを変える事により過去を変えた事になるのです。従って、誰であっても、過去を変えながら生活をしているのです。

ですから、過去を変えるのは簡単な事なのです。また、現在体験している事柄は全てが、自分自身が過去に思い描いた思考や意識、行動などの集大成であり現実化した姿なのです。前にも記しましたが、望んで病気になったのではないと思いますが、とにかく、強く心の中に描いた思考や、意識で過去に思った事が、現在になって現実として体験していると考えられるのです。

従って、病気を早く治して楽になりたいと願う事も、裏を返せばストレスが生じている事になり、病気になりたいと思っている事と同様になるのです。ですから、病気に関係のない事を思考したりして、意識を他に向ける事が必要なのです。この事を考えると、病気とは、自分の心の中で想像をして、造り出している事であると考えられるのです。

病気の恐怖イメージは影響が絶大である

頭の中で、イメージとして長い期間思い続ける事を能力開発では薦めますが、私の能力発現の場合もそうであったように、願望が実現すると言われています。ところで、病気の場合においても同様であり、私は病気になるとか、病気が怖いなどと思っていると、良からぬ緊張やストレスが身体に悪影響を及ぼし、やがては病気となって実現されるのです。

思った事が実現されるのは、前向きになるように思考した場合や、意識をした場合であっても、否定した場合であっても、どのような形としてイメージした場合であっても、全ての結果は同様の事として実現するのです。

私の所にも、医師の方が時々訪れますが、その方の話しを聞けば納得できるはずです。例えば、精密検査の結果がガンと診断れた場合に、ガンと聞かせただけで瞬く間に進行すると言うのです。

この事実を考えてみれば、恐怖やイメージの影響は絶大である事が納得できるのです。ですから、私はこのような病気になるとか、あのような不自由な身体の人間にはなりたくないなどの、想像もしない事が最も肝要であるのです。

笑う門には福が来る

「笑う門には福が来る」と言われることわざがある。まさしくその通りである。ところが、私の所に訪れる方々に対して、笑ったり微笑んだりすると病気や苦しみが和らぎ、リラックスができて本当に楽になるからと薦めるのであるが、「そんな、笑ったり微笑んだりしただけで病気が治り、苦しみが和らぐなら、わざわざここまで来ない。」と言う方があるのです。

また、「現在は病気で苦しんでいるのに、笑ったり微笑んだりする事などできない。」と言う方も真に残念な事ですがあるのです。その時私は、「今、笑ったり微笑んだりできないのなら、いつまで経っても、笑える時はこないよ。」と言う事にしているのです。

そこで、過去の思いや感情が元で病気や苦しみが表れているのだから、もし、現在において笑ったり、微笑んだりできないのなら、一生病気や苦しみから逃れられないと言う事があるのです。なぜなら、現在が全ての始まりであり、全ての終わりだからと説明すると、不思議がっている方がほとんどであり、真に残念な事でありますが事実なのです。

その時もまた私は、「ところで貴方は、間違いなく明日がくると信じているのですか。」と尋ねる事にしているのです。それに対して多くの方々は、「必ずくる。」と応えるのです。それに対して私は、「絶対に明日がくるとは保証がない。なぜなら 貴方は、今晩、突然に命を落とすかも知れないし、交通事故に巻き込まれるかも知れない。

だから、今が大事であって、明日の事は考える事はないとまでは言わないが、とにかく、現在が大事である。」と告げているのです。とにかく笑顔を絶やさないことが大事なのです。

自分らしさの好きな事を持とう

自分らしさの好きな事を持とう。好きな事とはあらゆる事に通じるのです。まず考えられるのが仕事である。誰であっても、仕事は辛いものと考えているのかも知れません。しかし、自分なりに楽しみながら仕事をこなしている場合には、不思議なほど、心にも、身体にも、負担が掛からないものなのです。つまり、緊張やストレスが少ない事になるのです。

多くの方々が信じているようであるが、仕事のし過ぎや暴飲暴食などが、病気やストレスを引き起こすと考えているのではないだろうか、ところが、暴飲暴食をしても、あの人は大丈夫かと周りの方々が心配するほど働いたとしても、病気にならない人はならないのです。不公平ではあるがこれが真実であり事実なのです。この方の場合には、病気などには微塵も意識がないのですから、病気などとは縁がないのです。これが大事なのです。

病気の原因は、様々な緊張によるストレスであると言えるのではあるが、私は、この仕事が好きであるとして仕事をしている場合には、緊張も、ストレスも、少ないと考えられ、病気などにもならないようなのです。例え、病気になったとしても、軽く済むものなのです。ここで、注意をしなければならないのは、自分の考えによって、仕事も楽しいものであると感じ、そして、取り組む事である。そうすれば、緊張も、ストレスも、最小限にする事ができるのです。

病気は嫌だ、怖いなどと思っている場合には、病気に対して大切なエネルギーを消費している事にもなり、更には、自分の肉体に意識がある事にもなり、益々はまり込んで不安や恐怖が増してくるものなのです。従って、改善が難しくなってくるのです。

確かに病気は嫌いであるし、怖い、そうであるからこそ、仕事などに対しても、好きな事であると意識を変える事によりストレスを解消すべきなのです。勿論、趣味やスポーツなども同じ事なのです。しかし、スポーツやレジャーなど嫌いな方もありますから、好きでもない事をすると、やはりストレスとなる事があるので、全ての方々が同じとは言えないのです。従って個人差があるものなのです。

捨てる事とは

捨てる事。捨てる事とは、まず絶対に注目しなければならないのは、呼吸である。確かに呼吸は、誰であってもしているのではあるが、普段より多く吸うのには、まず吐かなければならないのです。多く吐けば、吸いたくなくても、黙っていても、入ってくるものなのです。ところで、肉体内、特に脳内に、ストレスや緊張などにより滞ったエネルギーが、病気を引き起こしていると考えてもよいようである。そこで、その滞ったエネルギーを、できる限り外部に放出する事が必要なのです。

その滞ったエネルギーを放出していれば、黙っていても、呼吸と同じで、新鮮なエネルギーが肉体に入り込み健康になってくるのです。エネルギーの放出とは、自分自身の事よりも優先して、他人に対して尽くす事が最も大事なのかも知れないのです。そうする事により、自分自身の事を考える時間も少なくなり、従って、自分の肉体や、自我に対しても意識をする事が少なくなり、良き結果になると思われるのです。また、愛ある行為にもつながるのです。

また、過去に何らかの恐怖体験などを経験した場合なども同様で、その恐怖体験を直視し、そして認め、相手を大きな心を持って許す事が必要なのです。それこそが、愛ある行為であり、心の開放そのものであり、意識の上においての捨てる事なのです。

呼吸にしても、多くのいい空気を吸うためには、多くの空気を吐かなければならないのです。お金や知識であっても同様なのです。よく、知識やお金は苦労をして覚え、そして、蓄えたのであるから、他人には与えたくないとのケチな考えをする方がありますが、知識やお金は使ってこそ役立つものなのです。そして、使うからこそ、廻り廻りって、再び、大きな知識や、お金となって、自分にも幸福が舞い戻ってくるのです。

また、誰であっても命は惜しいものである。命が惜しい、惜しいと意識していると、例え命であっても消費していくものなのです。貴方は、ガンであと数ヶ月の命である。などと言われると、どうせ治らないのなら、残りの人生を悔いなく過ごすから良いやとあきらめてしまって、自分の様々な欲の心を捨てると助かってしまう。そのようにあきらめた方が助かって、あきらめて、欲の心を捨てきれなかった人は、次々と病院や治療院を廻り、最終的には、取り返しのつかない状態になる事が多いので注意が必要なのです。

不平不満を必要以上に述べていないか

必要以上に、不平不満を述べていないかである。自分は誰々のおかげで、過大なるストレスが発生しています。だからこのような身体になり、病気にもなったなどと、旦那さんや、妻を責めてはいないだろうか、もう一度考えてみるべきなのかも知れないのです。

また、お金があったならとか、もっと旦那の稼ぎがあったならとか、隣の人はうるさいとか、子供が頭が悪いのは、旦那に似ているからだとか、仕事がうまくいかないのは、上司のせいだとか、不平不満を上げれば切がないほどあるのです。

もし皆さんが、このような状態なら、自然な生き方ではなく、自分から不平不満を生み出し、その不平不満に腹を立てて反応をしていることになるのです。よって、自分からストレスを作っている事にもなるのです。つまり、病気などになりたいと、過大にストレスを自分自ら発生させている事になるのです。

自然治癒力が働いている事を信じる

自然治癒力が、自分の体内でも働いている事を信じる。自然治癒力とは、例えば病気などになった場合には、まず体温が上昇するのです。体温が上昇するのは、体内の病気などの原因になる細胞を退治する捕食細胞などが、活発に活動している証拠でもあるのです。

熱が出ると、何が何でも下げようとする事は、この事を考えると間違いである事がわかるのです。熱を下げてしまう事は、せっかく体内で、自分自身の身体を守ろうとしている事に対して、逆の事にもなり、必ずしも正しいとは言えないのです。

食中毒などにて下痢を起こす場合なども、自然治癒の現れである事を覚えておかなければならないのです。下痢をする場合などは、体内にある身体に対して、良からぬ毒物を排泄している場合や、体内の熱を下げている場合かも知れないのです。もし、体内の毒物を排泄していた場合などには、薬を使って下痢を止めた場合には、取り返しのつかない事が起こるかも知れないのです。

吐き気や吐く事も、やはり体内にある熱を下げようとしたり、良からぬ異物を吐き出そうとしているのかも知れないので、更なる注意が必要なのです。この事を考えれば、まず何が原因で、病気になったのかを考えなければならないのです。

病気の原因は、過去のストレスや、緊張が原因の場合が、ほとんどである事が以前から知られているのであるから、なぜ、自分が病気になったのかを冷静に考える機会でもあるのです。ですから、全ての病気が悪いものとして、戦わなくてもよいと理解する事も大事なのです。

また、私の所へおいでになり、急激に改善するために起こる、好転反応と述べられる現象も同様と考えられるのです。この、好転反応と述べられる現象の場合には、様々なストレスや緊張などが原因で、自然に改善する力も病気と同様になったままであったのです。

その病気の状態と同様になっていたところに、他の強力なエネルギーによって、リラックスができるようになり、自律神経のバランスが取れるようになり、よって、自然治癒力が呼び起こされ、更には、捕食細胞なども呼び覚まされ、急激に改善の方向に転換したために起こるのです。このように現れる症状をよく理解していないと、取り返しの付かない間違いが起こりやすいので注意が必要なのです。

病気から早く開放されるには、要約すると

  1. 意識の転換や笑顔、自然の愛のあり方などを忘れないこと。
  2. エネルギーは、他人のために使用する事に心掛けること。
  3. 自分の欲のためにだけ、意識を巡らしたりしないこと。
  4. 腹を立てないこと。
  5. 他人を責めたり、恨んだりしないこと。
  6. 病気の原因は、自分自身が想像により造り出しているのであって、自分以外の方には関係がないのであるから、他人のせいにしないこと。
  7. 過去にこだわらないこと。などがあると私は考えています。即ち、病気が改善しにくいのは、自分自身のせいである事に気付くべきである。

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