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 自力では這い上がれないような苦境のどん底に陥ったとき、救いを求めて神に祈った経験は誰でも一度や二度はあるのではないでしょうか。人は祈りの有効性を考えたことがあるでしょうか。平素から神に感謝の祈りを捧げ、そして困難な状況に陥ったときに救いを求めて真摯に祈る人は、祈りとは確固とした力を有するものであり、それが真剣な祈りのときには誠に絶大な力を持っていることを経験的に実感していていることでしょう。祈りとは全く不思議な力を持ち、人間が生きていく上で欠くことができない神の普遍力であると私は思います。

 私は中学生の頃に少しの期間でしたが、カソリックの教会に出入りしたことがあります。そのときに祈りの主祷文を習って以来、就寝する前にその主祷文を唱えながら平穏な日々を感謝する思いをこめて、手を合わせて祈るということが習慣になりました。ときどきは祈りを省略して就寝してしまうこともありましたが、概ね就寝前に日々を感謝する祈りを実践していたと思います。二十代後半になってからは瞑想することを日課にしていましたので、瞑想する前には必ず祈りの言葉を心の中で唱えていたものです。私にとっての祈りとは、その日を平穏無事に過ごせたことに対して神に感謝することなのです。困難な状況に陥って苦悩しているようなときには、もちろん神の救いを求めて真剣に祈るときもありますが、概して私は就寝前に平穏無事な日々に感謝して神に祈るのです。

 現代人の多くはこの世に神など存在しないと思っているようですが、神が在られてこの世の中を見守っていてくださることを私は確信しています。神は私たち人間の目には見えないので、人々は神は存在しないと言います。けれど、目には見えなくても、霊性の道を歩む信仰心篤い人たちには神の存在を実感できるのです。漠然としたものではありましたが、私は子供の頃から神は存在すると思っていたようです。ですから、宗教に興味を抱いてキリスト教の日曜学校などへも行ったりしたのでしょう。十歳くらいの子供の頃から今日まで、長い年月が流れたその間に、漠然とした神のイメージを抱いていた子供心における宗教的な感情から、自分なりに信仰心を深めてきて、今は神への絶対的な信頼が確立されるまでになりました。神への帰依が確立されると、神はその存在をますます顕わにして、良心という、神の媒体を通して進むべき道を示してくださるのです。人は、それは人間の良心そのものであって、神が介在しているわけではないと言うかもしれませんが、実際に祈りによって信仰を深めた者にとっては、自らの良心と神の声との違いが歴然としてあることを断言できるのです。

 私たちが苦境にあるときや必要とするものを求めて神に真剣に祈るとき、神は私たちの祈りを聞き届けてくださいます。けれども、神に対してどのようなことでも祈ってよいというわけではないことを、私は痛切に思い知らされたことがあります。それは今から二十数年前のこと、脳溢血で倒れた父親が救急車で病院へ搬送されて、心臓の鼓動が停止したと医師から告げられたとき、母親が取り乱してしまい、母の悲しみが胸にこたえた私は、『母のために父を生かしてください』と、その場で神に祈ったのです。当時、私は二十歳の頃から欠かさずに月参りしていた社があり、その社に祀られている神に向かって真剣に祈ったのです。私の祈りは即座に聞き届けられ、父は蘇生しました。父は息を吹き返しましたが、重篤な状態で三ヵ月余りを病院のベッドの上で苦しそうに生き長らえたのです。父親が亡くなって後、なぜか私がノイローゼのような状態になり、心配した母がある寺の住職に相談したところ、原因は、私が父の命を長らえる祈願をして、それが成就したにもかかわらず、志願成就に対するお礼参りをしなかったというものでした。ただちに、その住職によって、“願解き”の行が執り行われ、それが終わってから、私は住職の指示によってお神酒や塩などの品々を社の周囲に置いてきたのです。その願解きによって私の不調は癒されましたが、その出来事を契機にして、私は神信心については非常に慎重でなければならないことを学んだのでした。父親の一件を介して私が理解したことは、真剣な祈りは神によって必ず聞き入れられるということと、人の生死に関しては絶対に祈ってはならないということでした。寿命は人それぞれに定まっているものであり、状況がどのような場合であっても、生きている人間の側から死に行く人の命に関わる祈りは、祈る側にも祈られる側にも重大な結果をもたらすということを、私はそのときに理解したのです。私が母のために良かれと思って祈ったことが、結果として私ばかりでなく父をも無用に苦しめてしまったことになり、父を追慕するたびに私の心が痛む深い傷となりました。

 祈りは、それがどのような祈りであれ、真剣な祈りであれば、その祈りが向けられた神によって必ず聞き届けられるものです。けれど、人の生死に関してだけは絶対に祈ってはならないことなのです。<人を呪えば穴二つ>と言われるように、人を死に追いやるような祈りであれば、いずれ天罰がくだって自分自身が悲惨な死に方で死ぬような憂き目にあうのは必然の理でしょう。人の命を長らえさせる祈りも止めたほうがよいでしょう。なぜなら、それもまた、人はそれぞれの寿命を天から授かっていますので、人間が干渉する事柄ではないからです。ですから、日々を平穏無事に過ごせることの感謝の祈りが最も妥当であり、そしてそれがひいては自己の幸福と繁栄を約すものとなるでしょう。

 神は確かに在られます。私の個人的な宗教観で、唯一絶対神とは普遍なる純粋意識のことですが、私がここで言う神とは、物理現象界を超えた領域に存在する神々を意味しています。この物質界を超えた領域における神々とは、輪廻転生するこの肉体生をいつかは終えて、私たち人間が目指している究極的なゴールなのだろうと私は考えています。神々も私たちと同じように人間生を持ったことがあり、意識の進化過程において私たち人間よりもはるかに進歩して、神界の神々になったのでしょう。人間界において精神的に相当進歩した人間から、犬畜生にも劣るような粗暴で本能のおもむくままに生きている利己的な人間まで、種々様々なレベルの人間が存在するように、神界においても、人間の想像をはるかに超えた意識状態にある神格から、私たち人間が崇拝する対象として身近に感じられる神格まで、諸々の神々が在られることでしょう。すなわち、神界においては厳然たる位階制度があるだろうということです。私たち人間の意識レベルが低いためにその状況をうかがい知る術はありませんが、私は直観的に神界とはそのようなものではないだろうかと思っています。私がどうしてこのようなことを断言するのかということについては、私は幾度かの幽体離脱体験によって人間は肉体ではないということを理解していますので、イエス・キリストや仏陀などの偉大なる霊性指導者たちがかつてこの地上に生を享けて、そしてその使命を果たされて、彼らはどこに行かれたのかと考えるとき、当然ながら彼らの行くべきところは神界であろうと推量するからです。私のこうした考えは科学的な裏づけがあるわけではなく、私の直観的な思量であって、人々が言うところのいわゆる、科学的精神を有する現代人からすれば、批判や嘲笑の的になってしまうような観念なのかもしれません。でも、仮にそうであっても、私自身は霊魂の不滅と進化の法則を絶対的に確信しているのです。

 私たちの意識レベルは低くて、キリストや仏陀のような意識に到達するには、幾千幾万もの輪廻転生を重ねなくてはならないのかもしれませんが、でも、私たちでも彼らのような意識レベルに到達することは可能であると私は考えます。キリストや仏陀が神の教えを説くために人間としてこの地上に生まれたきたのであれば、私たちだって精進すればいつかは必ず彼らの意識レベルに到達できるでしょう。ですから、今、私たちが生きているこの現世においては、私たちはできるかぎりの功徳を積んで、神のレベルにより近づくように生きるべきなのでしょう。かつてこの地上に人間として生を享けて、そして高度な進化を果たした方々が神界へと進んだのであり、そして今、私たちから神と呼ばれている神界の方々が私たち人間の進化を見守って、人類が進化することを助けながら、神々自身もまたはるかなる進化過程の途上にあるのだろうと私は信じています。

 私たち人間の意識が種々様々な段階にありますから、私たちの意識状態に即応した神々が私たちの祈りに応えてくださるのでしょう。すなわち、人間すべてが同じ意識段階にあるわけではありませんから、意識レベルが高い人と低い人がそれぞれの心の中で考える神もまた、それぞれに異なる神々であろうということです。いずれにしても、私たちが困窮や苦境に陥って、その苦しみから逃れたい一心で、自分が信じる神に救いを求めて真剣に祈るとき、神は私たちに苦境から抜け出す方便を必ず示してくださるのです。そうした霊験に与って、人間は祈りによって信仰心が徐々に芽生え、宗教に心が開かれて霊性の道を歩むようになるのではないでしょうか。ですから、祈りとは、人間と神とを繋ぐ、宗教における方便であると私は考えているのです。

 

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