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精神世界へようこそ・教育

 日本では、ほとんどすべての日本人が義務教育を受け、そして多くの人々が義務教育に続いて高度な高等教育を受けます。日本が世界の先進国としての地位を築きあげることができたのも、日本の教育が盛んで、その教育の中身の良し悪しは別にして、教育によって有能な日本人が多く輩出されたことによるのでしょう。しかし最近では、“学級崩壊”などという耳慣れない言葉で、小中学校における教育現場の問題と混乱を露呈しているようです。教育の場における問題ばかりでなく、物欲的で利己主義の若者たちが闊歩している退廃的な社会の風潮を見るにつけ、これまで日本の社会を支えていた倫理道徳に根ざした価値観が崩れ去ってしまったように思えます。物質性のみに価値を追求して、精神性に価値観を見出せない現代の即物的な若者たちが多く現れ出た背景にある原因は、一体何なのでしょうか。退廃的な風潮に汚染されてしまったような日本の現代社会を危惧しているのは、おそらく私一人だけではないことでしょう。

 子供たち全員が義務教育を受けられ、そして子供たちが望めば、さらに高度な高等教育も受けられるということは、子供たちにとっても国家にとっても幸いなことです。と言うのは、国家が繁栄することの礎は、種々様々な分野で活躍する有能な人材によって固められるからです。有能で、しかも人徳を有する高潔な逸材を多く輩出する国は、国家の安泰と繁栄を享受することができるでしょう。国家が繁栄するということは、私たち一人一人である国民のすべてがその益を享受できるということであり、国家が没落すれば、国民である私たち一人一人が困難な状況に陥るということを意味しているのです。従って、子供たちの教育には重要な意味があるのであり、子供たちを教育することの大切さを親たちは充分に認識しなければならないのです。人が老齢に達して、そして老後の生を安楽に過ごせるか否かは、その人が子供を立派に教育できたか否かにかかっていると言っても過言ではありません。と言うのは、子供に対する親たちの教育が正しいものであり、そして子供たちが徳をそなえた人格者に成長すれば、有能で高潔な人々が国家の礎となって国は安泰でしょうから、演繹して親たちの老後の生も安泰になるということなのです。親が子供を放任して、正しく教育しなかったならば、そのことに対する代償を、親が老齢になって老後の生を生きるようになったときに、手痛いしっぺ返しとして受けることになるでしょう。それは当然の理であって、少しばかり熟考すれば、万人が理解できる明白な物事の道理です。

 教育とは子供たちの頭に知識を詰め込むことではありません。それは断じて正しい教育とは言えません。正しい教育とは、次の時代を担って国家の礎となるべき高潔で有徳な人格者を育成することです。高学歴を達成するために学術知識だけを詰め込んで、公徳心や公共心が欠けた利己的な人間を生み出している現代の教育は断じて正しい教育ではありません。強欲で利己的な者たちがのさばり、弱者や心正しい人たちが踏みつけられたり、社会の片隅に追いやられてしまうような、そのような利己主義が大手を振ってまかり通る社会は異常です。それは学歴偏重社会が生み出した弊害であり、大いなる害悪です。しかしながら、それに対する代償は当然ながら生じるのであり、現実に今、その学歴偏重の結果である反動が、歪(ひずみ)として現代社会に現れ出ているのです。家庭においても、学校においても、子供たちに正しい教育を施さず、学歴偏重に由来する偏頗(へんぱ)な詰め込み教育をしたことの結果として、公共心や倫理道徳が欠落している利己的な人間たちが社会に多く現れ出ているのです。

 詰め込み教育の結果として、一方では、過重な知識詰め込み教育についていけない、いわゆる落ちこぼれの子供たちが増大し、他方では、幼いうちから塾通いで、受験競争に勝ち抜く学術知識だけを詰め込まれ、親や学校の教育方針によって公徳心や公共心などの徳性を涵養できない人格素地を形成させられた、心を忘れた、頭でっかちの子供たちが現代の学校教育によって輩出されているのです。学校で落ちこぼれた子供たちは、学業に対する興味を失ってしまうでしょうが、それは換言して、教育に携わっている大人たちが子供たちの学ぶことの芽を摘んでしまっているということでしょう。クラスの学習についていけない落ちこぼれた子供たちは、敗北感に苛まれて自信喪失の人間となるか、あるいは生来的に物欲的な傾向を有していれば、援助交際などの非行や、金を非合法手段で得る犯罪に走って、常識的な大人たちの顰蹙(ひんしゅく)を買うような、淫らで無頼な人間に成り下がるのです。一方で、知識だけを詰め込まれて高学歴を達成した者たちは、社会における階級の梯子を昇ることはできるでしょうが、知識の詰め込みだけで、物事を自分の力で考えることができる緻密で独創的な思考力を培われていませんし、徳性の修養などの心の教育を受けていないのですから、自分本位の利己的な人間となるのは当然のことでしょう。知識を詰め込むだけの教育は、学術知識だけを是とする融通の利かない、そして心が硬直して創造性の乏しい人間を作るだけなのです。若者たちの性風俗が乱れ、青少年の犯罪が多発するようになった退廃的な現代の社会状況は、明らかに日本の教育の欠陥を露呈していると言えるでしょう。

 また、知識の詰め込み教育によって、前述したような二極性に分離した意識が子供たち全体に浸透しており、そして子供たちの間を分断しているゆえに、陰湿ないじめ問題が多発しているのです。強い自我を適正に抑制することや公徳心が自然に身にそなわるような精神教育を受けていないのですから、詰め込み教育の弊害として生じた歪によって、子供たちの心の中で二極性に起因する感情が鬱屈して溜まり、そしてその鬱屈した感情吐露のはけ口として、強い自我を持つ子供たちが、自信を失くして精神的に萎縮した子供たちや気弱な子供たちを対象にして<いじめ>という虐待を行なうのです。二極の中間にある子供たちは自分がいじめの被害者になることを恐れて、見て見ぬ振りをするか、または意識的であれ、無意識的であれ、いじめる側に加担してしまうのです。

 いじめる側の子供も、いじめられる側の子供も、それぞれの心の中にある鬱屈した感情を適切に処理する方法を知らないので、いじめられる子供が自殺するという、極端な形での自己表明をするのです。自殺という極端な形で吐露された、いじめられる子供の、救いを求める心の叫びは、子供たちを追いつめているのは私たち大人であるということを強く訴えているのです。私たち大人が、大人の身勝手な論理を以って、自己防衛できない無力な子供たちを抑えつけ、そして陰湿ないじめや非行や少年犯罪などの問題の中に子供たちを追いつめているのです。日本の現代社会の種々様々な問題の根本を洞察すれば、利己主義で、身勝手な論理を振り回す私たち大人が、子供たちをいじめや非行に走らせている加害者なのであり、いじめる子供も、いじめられる子供も、非行に走る子供も、無防備な子供たち全員が、私たち利己的な大人によって心を傷つけられ、そして見えない出口の中で救いを求めてもがいている被害者であるということが、明白な事実として理解できるでしょう。

 しかしながら、教育の欠陥が現代の混迷した社会を作り出した大本の原因ではありません。堕落した社会が生み出された根本の原因は、悪しき物質主義に存するのです。金がすべてだと考える物欲的な人間たちが、金と地位に裏打ちされて身の保全が図れる社会の上層に這い上がろうと奔走してきたことの結果として、学歴競争社会が現出したのです。それゆえ、独創的に思考できるような想像力豊かで、高潔な人格者を育成することが本来の目的である教育理念が、戦後の物質主義によって歪められてしまったのです。日本人は、戦後の物質主義的な民主主義によって精神性を蔑(ないがし)ろにして、物質至上主義で突っ走ってきてしまいました。そのような物質主義的な生き方をしてきたことの反動が今現れ出て、正当な価値基準を見失った混迷の現代社会となっているのです。私たちは今、心を忘れて物欲的に生きてきたことの結果を見せつけられているのです。学歴偏重に由来する、多年に亘る知識詰め込み教育の結果として現われ出た種々様々な弊害の中で、私たち日本人は今、立ち往生しています。この状況を是正することなく、このまま放置すれば、社会の低劣化と人間性の堕落という泥沼に、私たちはますます深く沈みこんでいくばかりでしょう。混迷する日本の現代社会をしっかりと見据えて、私たち日本人が精神性における価値観の再構築を図らないかぎり、社会の低劣化に歯止めがかからず、ひいては日本という国自体が国力を失って凋落していく事態に陥ることでしょう。日本の凋落は、すなわち、日本人である私たちがこの日本で生きていくことにおいて、物心両面に亘る繁栄を享受できなくなり、国民の生活が窮乏するということを意味しているのです。

 この状況を改善するためには、教育の抜本的な改革が必要でしょう。知識詰め込み教育をただちに廃することです。義務教育のあり方を根本的に問い直し、無駄な知識詰め込みを排除して、各学年の児童にとって必要最低限の知識習得と公徳心と公共心の育成、および独創的な思考力の育成を教育の柱とするべきではないでしょうか。このような果敢な教育改革を断行することで、これまでの義務教育において課せられていた知識の習得が減ぜられるというのであれば、生涯教育の道を開いて、一般の社会人であっても、学生であっても、学びたい者たちには誰に対しても門戸を開いて、その求める知識を常に与えることが可能であるような体制を確立すればよいでしょう。コンピュータやテレビ放送などが生涯教育の媒体として大いに期待できるでしょうし、二十一世紀において学校教育の補完的な役割を果たすのはコンピュータであろうと思われます。次世代において活用できる教育媒体を視野に入れて、学校や家庭では子供たちの情操に力点を置いた教育を施すことによって、公徳心を自然に身にそなえ、感受性豊かで、他者に対して思いやりという愛を示せる子供たちを育てることに努めるべきでしょう。

 子供の将来を考えていると言いつつ、子供を名門大学や一流企業に入れることだけを念頭に置いて詰め込み教育に奔走してきた、いわゆる教育ママと呼ばれる、物質主義と利己主義を自ら体現しているような人々は、学歴偏重の競争社会を生み出してしまったことに対して、自ら果たしたその重大な過誤とその非を認めるべきでしょう。彼女たちがその非を認めようと認めざるとにかかわらず、現代の物質主義に偏向した社会を作り出した責任を負う人々が、その科(とが)に対する債務を、実際には今、弁済しつつあるのです。彼らがそのことを認識しているか否かは別問題です。しかし、絶対的な真理として、責任を負うような行為を為してしまった人は、いずれその期が満つれば、必ずその負いを返さなければならないのであり、それが世の中を厳然と律する物事の道理、別名で因果応報という宇宙を統べる絶対的な理法なのです。

 子供たちは国の宝であり、次代の核となって国の将来を担う人々です。その子供たちが学業において挫折することなく、学ぶことが楽しいと考えられるように、教育環境を整えてあげることが、私たち大人が果たすべき緊急の責務ではないでしょうか。私たちにできることとは、一体何でしょうか。まず第一に私たちが為すべきこととは、学歴偏重に起因する知識詰め込み教育が、子供たちにとっても社会にとっても非常に有害であり、害悪なものであるということをしっかりと認識することでしょう。そのことをすべての親と教育現場にある人々がしっかりと理解すれば、それに対する解決策は自ずと生まれてくるものです。日本の社会をこれ以上貶めないためにも、私たちと私たちの子供たちの将来のためにも、良識ある大人たちは、子供たちの心を蝕む知識詰め込み教育の弊害と、また、それを生み出した大本の原因である悪しき物質主義という害悪を認識して、精神性に基づいた価値観の見直しと教育の再建を図るべきではないでしょうか。

 

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