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精神世界へようこそ・経験世界

 私たちは物理現象界という経験世界に生きています。この世界は、私たちがさまざまな経験をするための現象の世界なのです。私たちはなぜこの世界を、経験世界、あるいは現象世界と呼ぶのでしょうか。それは、一言で言えば、私たちが肉体を持ってこの世界に生きているからであり、またそれは、私たちの本源である霊の意識世界と異なり、物質の世界は、本源の意識が形態として顕れ出て、そしてそれが生長と消滅の過程をたどる現象の世界だからです。

 多くの人は、私たちが今生きているこの世界だけが現実であり、この物質世界の他には私たちが存在するところ(界)はないと思っているようです。この世とあの世という概念を持つ人々でさえ、あの世というものを正しく認識している人は、ごく少数、もしくはほぼ皆無と言ってもよいほどでしょう。しかし、この世とあの世、あるいは仏教の用語で此岸と彼岸という言葉があるように、この世とあの世は確かに存在するのです。この世界、すなわち私たちが現在生きている物質現象界と、あの世、すなわち私たちに死が訪れ、肉体を落として霊となった私たちが赴くところである霊界があります。

 霊界とは意識世界のことですから、肉体を持たず意識そのものである霊は、自己が創り出す無碍自在な意識世界のうちに存在しています。しかし、この世に生まれ出る霊(魂)は、肉体という衣をまとって、物質の世界で生きていくことになります。と言うのは、霊である魂が物質現象界で生きるためには、物質である肉体を持たなければ人間として存在できないからです。そして肉体を持って生きるということは、意識そのものである霊とは違って、物質界の物理法則の制約を受けるということを意味しています。

 人間として物質界に生きる私たちにとって、自己の生命と肉体を維持するために絶対的に必要不可欠な要件があり、それは衣・食・住という、生存に対して必須なものです。日々、水と食物を得て、それを飲食しなければ、私たちは肉体を維持することができません。また、風雨、寒暑などの自然災害の脅威から自己の肉体生命を守るために、着るものと住むための家が必要とされます。私たち人間がこの物質界で生存するには、このような物理法則の制約を受けるということです。物質を超越している霊は、物理法則によって制約されることはありませんが、物質界に生きる私たち人間は、当然ながら、物質界を成り立たせている物理法則によって条件づけられるのです。

 霊はなぜ、生きる上でさまざまな制約を受けるこの束縛の世界、物質現象界に生まれてくるのでしょうか。それは人間の思量を超えている事柄のようで、現在のところ私たちは、それが霊の在り方であるとしか言うことができないでしょう。しかし、肉体をまとった霊である私たち人間は、この現象世界へ生まれ出てさまざまな経験を経て人間として成長していきます。従って、種々様々な経験を得ることが、私たち人間がこの世界に生まれ出る目的の一つであるとも言えるでしょう。経験を通して学ぶことが、人間という形態を採る霊(魂)にとって、自己が進化成長するための貴重な機会なのであり、そしてまたこのことが、物質現象界を経験世界と呼ぶ所以なのでもあるでしょう。

 この世界で私たちが持つ経験には種々様々なものがあり、人間の、地上での経験は、実質的には無限であると言ってもよいほどでしょう。人間が一つの生だけで得られる経験は限られていますから、魂は数知れぬほど多くの転生を経て、この世での経験を積み、そして魂自身の成長を果たしていくのではないでしょうか。換言して、輪廻転生の真義とは、この有為転変の現象界で人間として生きることによって得られる種々様々な経験を積むためであるということ、そしてそのことによって魂は、自己の意識進化を果たすことができるということなのでしょう。

 経験には、大別して、快楽をもたらすものと苦痛をもたらすものという、二種類があります。人間の感覚に対して心地よさや満足感をもたらすものが快楽の経験であり、これとは反対に、苦悩や悲哀をもたらすものが、人間が忌避する苦痛の経験です。そして人間は、自己に快楽をもたらす経験のみを求め、苦痛の経験を避けようとします。しかし私たちが、この世界、物質現象界で肉体を持って人間として生きるかぎり、自己に快楽をもたらす望ましい経験のみを求めることは不可能なことでしょう。と言うのは、この世界、この物質宇宙を律し、そしてまた物質現象界を超えた不可視の世界をも律する偉大なるダルマ(理法)が存在していますが、多くの人はこの理法についての知識を持たず、理法の働きに関して無知であり、人々は理法に抵触するような、自分本位の利己主義的な生き方をしてしまうゆえに、自ら苦痛の経験を招いてしまうからです。

 ダルマ(理法)とは、この物質現象界や不可視の霊の世界をも含めて、宇宙のあらゆる一切のものを律する全宇宙の絶対法則、あるいは究極絶対神と呼んでもよいものでしょう。ダルマ(理法)という宇宙の絶対法則が存在するゆえに、私たち人間やこの世界やこの物質宇宙、また不可視の世界が存在できるのです。理法は、一切なる宇宙を宇宙として在らしめている絶対法則です。宇宙が宇宙として在る法則は、私たち人間の思量を超えた、ただ不思議、不可思議と言ってもよいほどのものでしょう。現象の物質宇宙ではなく、それをはるかに超越している、永遠無限に存在する偉大なる全宇宙、偉大なる絶対法則、偉大なる究極絶対神を、人間の現在の知性レベルで思惟することなどは、ほぼ不可能と言えるのではないでしょうか。

 私たちは、全宇宙を、一点の曇りもないほど完膚なまでに理解することは不可能でしょうが、しかし私たちは、私たちが生きているこの世界の自然の様相や宇宙の在り方を通して、一切を律する法則が存在するということが理解できるのです。例えば、地においては悠久に変わることなく年々歳々の自然の四季があり、天においては天体の恒久的な運動があります。こうした人知を超えた宇宙という天然自然の在り方の中に、無窮に時を超えて<秩序と調和>という宇宙の絶対法則が顕れているのを私たちは知るのです。

 <秩序と調和>を、宇宙の絶対法則、ダルマ(理法)と言ってもよいでしょう。<秩序と調和>という理法が存在しないならば、そのとき、宇宙はカオス(混沌、無秩序)であり、私たちが目にしているこの現象世界や宇宙は存在しないでしょうし、また私たち自身も存在することはあり得ないでしょう。<秩序と調和>という理法が存在し、そしてそれが全宇宙を統べているからこそ、宇宙が存在し、私たちが存在するのであり、全宇宙が永遠無限に存在しているのです。

 そこで、私たちがこの地上で生きていく上で、一切のものを律する宇宙の絶対法則、<秩序と調和>という理法から逸脱しない生き方をすれば、私たちはすべてのものと調和して、私たちの生には如何なる軋轢も不和も生ぜず、私たちの生は幸福で円満なものとなるのではないでしょうか。これは合理的な推論であり、万人が肯んずることができるのではないでしょうか。従って、私たちが、私たちの周囲にあるすべてのものと調和している状態であるならば、そのとき、私たちは、<秩序と調和>という宇宙の絶対法則に抵触していないということであり、私たちは大いに平安であることでしょう。しかし、これとは反対に、私たちが理法に反した生き方をするなら、当然ながら私たちは調和を欠いて軋轢や葛藤を生み出すこととなり、私たちは平安ではなくなってしまうでしょう。

 私たちが理法に反した生き方をしないかぎり、私たちはこの世界において幸福な生を楽しむことができるでしょう。けれども実際には、多くの人々が悲哀や苦悩という苦しみを心に抱えて不幸な人生を送っているようであり、この現象界は、<苦の娑婆>という言葉が示すように、生き難いところのようです。なぜこの世は生き難いところなのでしょうか。くどいようですが、理法に則った生き方をしている人たちにとっては、この世は生き難いところではありませんが、理法に反する生き方をしている人たちにとってこの世は生き難いところとなってしまうのです。これは当然の理です。どうして人々は理法に反する生き方をしてしまうのでしょうか。それは、人間が我欲という自我を持つからであり、人間は自分第一に考えて、自己の損得勘定を以って物事を処するからです。

 物質界に生きる人間の多くが、<秩序と調和>という理法から外れた利己主義的な生き方をしてしまうので、人々は悲しみや苦しみなどの苦痛の経験を味わうことになるのです。ですから、理法に則った生き方を体得すれば、人間は苦悩や悲哀を味あわなくても済むことでしょう。理法に則った生き方とは、すなわち、物質界の法則を遵守し、一切のものと調和して生きるということです。そのためには、我欲という自我を滅することが非常に重要なことになります。我欲に基づく利己主義があるかぎり、人間は、自己の周囲にある他のもの、換言して宇宙と調和を欠くことになるからです。人がこの現象世界で個人として生きるうえで、決して自分と切り離すことができず、常に巻き込まれていることがあります。それは人間関係です。言葉を換えて、社会とは有機的な人間関係で成り立っているものであり、この世界は有機的な人間関係によって成り立っていると言ってもよいでしょう。

 私たちは人間関係を通してさまざまなことを経験します。喜びの経験、悲しみの経験、辛い経験、苦しい経験など、その多くの経験を、私たちは人間関係を通して経験するのであり、そしてその経験によって、私たちは自己の心に快楽と苦痛というものをもたらすのです。従って、人間関係が、私たちの精神生活において基本となるものです。それゆえ、人間関係を調和の取れたものとするならば、人は基本的に、精神において調和した生き方を導いていると言ってもよいのであり、そのとき、その人の心に軋轢や葛藤という不和が生じることはないでしょう。心に軋轢や葛藤がないとき、人は平安なのです。

 物質現象界というこの経験世界において、私たちは経験が持つ意味を理解し、そして経験を、より良いもの、あるいは自己にとって望ましいものとしていくために、人はそれぞれに、人間がこの世界で生きることの根本的な意義とその目的について思惟を深めていくことが何より大切なことではないでしょうか。そして、人が自己の人生を幸福なものにしたいと願うとき、人はすべてのものと調和した生き方を導いていくことの重要性を悟ることでしょう。人が、<秩序と調和>という、宇宙の絶対法則に則った生き方を常に心がけているならば、その人の心は決して乱されることなく、常住平安で、精神と霊性において向上の生にあることでしょう。

 

 

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