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![]() 私が寝ようとして布団に横になるか、冥想などをして心が鎮まった状態になると、身体自体が消えてなくなったようになり、その後、暫くすると、死後の世界や極楽浄土と思えるところが見えてくるのです。 死後の世界と思えるところや、極楽浄土と思えるところが実際に見える事は数多くあり、更に、類似はしていますが、その都度、その現象は異なっていると表現しても良いと思います。ある時には、真っ青に空は晴れわたり、その遥か遠くには、眩しいほどの様々な光が光り輝き、その手前には、広大に広がっている土地一面に様々な例えようのないほどの綺麗な花が咲きみだれ、そして、表現が難しいほど爽やかな風が吹き抜け、更には、様々な蝶のようなものや、鳥などのようなものが様々な色に光り輝きながら飛び交う姿が見えるのです。 自分も遅れまいと川を渡ろうとするのですが、身動きがどうしても取れないのです。そのうち、花畑を歩いていた人々は遠くに行き去り見えなくなり、自分は置いてきぼりになったと悲しんでいると、ふと、我に返る事がしばしばあったのです。この際、私自身が置き去りにされては大変と大声で呼び掛けるのですが、こちら側には全く反応せず、整然と並びながら歩いて行き去ってしまったのです。またその時、信じられない事に、大勢の方々が通ったはずの花畑のような場所は、全く踏みつけた後がなく乱れていなかったのです。 あまりにもその岩山が光り輝き綺麗なので、私も行こうとすると、なぜか全く足を動かす事ができず、向こう岸には行けなかったのです。どうしても私は向こう岸に行きたいので、大声で向こう岸にいる方々に呼び掛けるのですが、これまた全くこちら側には見向きもせず、黙々と作業を続けているのです。ところで、死後の世界では、修行のためと他の方々の供養のために、崩れても、崩れても、石積みを繰り返し続けると言われていますが、その通りだな、とその作業の内容を感心して見ていると、そのうち、ふと我に返り見えなくなったのです。 この死後の世界と思われる場所を見た場合には、他の幽体離脱と思える現象の場合でも同じなのですが、意識だけで見たはずなのに、足が動かなかったと感じたたりするなど、意識以外の感覚でも感じたと思うのですから、何とも理解ができなかった不思議な例として挙げておきます。また、こちら側にいる私に対して全く反応をしていないという事は、私が見えていると思っているだけであり、死後の世界とか霊の世界などと言われている世界に実際には行ってはいないと理解すべきなのかも知れないのです。そして、その見えたり感じたりするものは、実際にはなく、自分自身の脳内にある自我意識の記憶を見たり、感じたりしているのではないのでしょうか。 この極楽浄土と思われるところが見える体験については、建物や庭などが、様々な光に輝きながら見えるのですが、この建物は現存するとは言えないほど煌びやかであり、例える事はできないほどのものであり、しかも、様々な色にて輝いてはいますが、そこに存在するもの全てが、透き通っていて光り輝いていると表現をしても良い程のものであったのです。もし無理をしてその煌びやかさを例えるなら、贅を尽くして建築した和室のようでもあり、これ以上の贅沢はできないであろうとして建築をしていると言わなければならないような建物であり、また、庭はと言うと、これまた絶対に人為的には造れないような素晴らしいものであり、その素晴らしい庭にある池や木々が、これまた例える事ができないほどの様々な光を放ちながら光り輝いて見えるのです。 この状景に匹敵するものとして挙げるとすれば、金額を度外視して最大限の贅を尽くし煌びやかに作製された仏壇などがありますが、その仏壇などとは全く比較にならないようであったとしておきます。また、周りはと言うと、これまた表現ができないほど素晴らしく、様々な光に輝きながら見え、更に空気の果てまでこれ以上気分のよい温度や湿度、そして環境状態はないと表現しなければならないようであったとしておきます。 ここに書き記されたいずれの例も、様々な色にて輝きながら見えるものは、全て形があるようにも見えるのですが、よくよく見ると、すべてが在るようで無いような、透き通っているような、何とも表現に困るようであったのです。しかし、想像を超えた素晴らしさは感じられ、これこそ極楽浄土なのかも知れない、と思ったできごとであったのです。とにもかくにも、周りに存在するあらゆるもの全てが、例えようもないほど様々な光に輝くと共に、表現の方法がないほど素晴らしく感じただけではなく、安堵感と幸福感があると記述しておきます。その時の心の安堵感や安らぎは、どのように表現したらよいのか分からないほどであり、表現をしようにもしようがない、と記述する以外にはないと述べておきます。それほど素晴らしい体験なのです。 よく亡くなった方を表現する場合には、白の装束であり、頭には白の頭巾を描く事が当然のようになっています。しかし、そのような格好の姿は、私が見た限りでは一度もなく、普段の生活にて着ていた服装であった事が印象に残っています。
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