気功治療,効果,気功法,整体,気功やり方天啓気療院の北沢勇人の著書・天啓気療の内容
 気功治療,効果,気功法,整体,気功やり方死後の世界や極楽浄土の世界と思える現象が見える

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  気功治療,効果,気功法,整体,気功やり方【死後の世界や極楽浄土の世界と思える現象が見える】

 私が寝ようとして布団に横になるか、冥想などをして心が鎮まった状態になると、身体自体が消えてなくなったようになり、その後、暫くすると、死後の世界や極楽浄土と思えるところが見えてくるのです。

 死後の世界と思えるところや、極楽浄土と思えるところが実際に見える事は数多くあり、更に、類似はしていますが、その都度、その現象は異なっていると表現しても良いと思います。ある時には、真っ青に空は晴れわたり、その遥か遠くには、眩しいほどの様々な光が光り輝き、その手前には、広大に広がっている土地一面に様々な例えようのないほどの綺麗な花が咲きみだれ、そして、表現が難しいほど爽やかな風が吹き抜け、更には、様々な蝶のようなものや、鳥などのようなものが様々な色に光り輝きながら飛び交う姿が見えるのです。

  気功治療,効果,気功法,整体,気功やり方また、自分自身の目の前には、幅が百メートルほどもある川が横たわり、川底には、球に近い拳大の石がゴロゴロと転がっており、水はと言うと、少ししか流れておらず、歩いても渡るなら渡れるようにも思えるのです。そこで、向こう岸があまりにも綺麗で美しく爽やかな風が吹いてくるので、歩いて行こうとすると、どうしても自分自身の足を動かす事ができず、川を越える事ができないのです。歩いていく事ができないので、その花畑の方向を見ていると今度は、大勢の方々が思い思いの格好をして、花畑の中を歩いて光の方向に遠ざかって行くのが見えるのです。

 自分も遅れまいと川を渡ろうとするのですが、身動きがどうしても取れないのです。そのうち、花畑を歩いていた人々は遠くに行き去り見えなくなり、自分は置いてきぼりになったと悲しんでいると、ふと、我に返る事がしばしばあったのです。この際、私自身が置き去りにされては大変と大声で呼び掛けるのですが、こちら側には全く反応せず、整然と並びながら歩いて行き去ってしまったのです。またその時、信じられない事に、大勢の方々が通ったはずの花畑のような場所は、全く踏みつけた後がなく乱れていなかったのです。

  気功治療,効果,気功法,整体,気功やり方もう一つのこの例の場合も、やはり真っ青に空は晴れわたり、本当に表現に困るような暖かさと爽やかさのある風が感じられ、更に、広大に広がる様々な形をした岩山が連なり、その岩山は様々な光を放ちながら輝き、私の目の前には、歩いても簡単に越せる水の流れていない谷間が広がり、その岩山には、方々に数々の石碑のような石柱や、大小様々な小石などが様々な色に光り輝きながら見えていたのです。その岩山には、多くの方々が、何やらあちらこちらに石積みの山を造る作業をしているのが見えていたのです。

 あまりにもその岩山が光り輝き綺麗なので、私も行こうとすると、なぜか全く足を動かす事ができず、向こう岸には行けなかったのです。どうしても私は向こう岸に行きたいので、大声で向こう岸にいる方々に呼び掛けるのですが、これまた全くこちら側には見向きもせず、黙々と作業を続けているのです。ところで、死後の世界では、修行のためと他の方々の供養のために、崩れても、崩れても、石積みを繰り返し続けると言われていますが、その通りだな、とその作業の内容を感心して見ていると、そのうち、ふと我に返り見えなくなったのです。

 この死後の世界と思われる場所を見た場合には、他の幽体離脱と思える現象の場合でも同じなのですが、意識だけで見たはずなのに、足が動かなかったと感じたたりするなど、意識以外の感覚でも感じたと思うのですから、何とも理解ができなかった不思議な例として挙げておきます。また、こちら側にいる私に対して全く反応をしていないという事は、私が見えていると思っているだけであり、死後の世界とか霊の世界などと言われている世界に実際には行ってはいないと理解すべきなのかも知れないのです。そして、その見えたり感じたりするものは、実際にはなく、自分自身の脳内にある自我意識の記憶を見たり、感じたりしているのではないのでしょうか。

  気功治療,効果,気功法,整体,気功やり方また、その見えたり感じたりする内容は、過去の暮らしの中において、何らかのかたちにより聞いていた内容を、無意識ではありますが、記憶として蓄積しており、その無意識である意識が、自我意識が鎮まった事により、普段の意識状態に対して浮かび上がるために、そのように見えたり、感じたりするのではないでしょうか。私はそのように考えています。また、遺伝子として、先祖や親が体験した様々なる事柄や体験などが蓄積されているので、無意識の状態になると、その蓄積されていた現象が意識上によみがえり、見えたり、感じたりするのかも知れないのです。この件などは、過去に虐待などがあった場合などに、私が治療をする事により、過去の体験がよみがえる現象と同じであるとも言えます。

 この極楽浄土と思われるところが見える体験については、建物や庭などが、様々な光に輝きながら見えるのですが、この建物は現存するとは言えないほど煌びやかであり、例える事はできないほどのものであり、しかも、様々な色にて輝いてはいますが、そこに存在するもの全てが、透き通っていて光り輝いていると表現をしても良い程のものであったのです。もし無理をしてその煌びやかさを例えるなら、贅を尽くして建築した和室のようでもあり、これ以上の贅沢はできないであろうとして建築をしていると言わなければならないような建物であり、また、庭はと言うと、これまた絶対に人為的には造れないような素晴らしいものであり、その素晴らしい庭にある池や木々が、これまた例える事ができないほどの様々な光を放ちながら光り輝いて見えるのです。

 この状景に匹敵するものとして挙げるとすれば、金額を度外視して最大限の贅を尽くし煌びやかに作製された仏壇などがありますが、その仏壇などとは全く比較にならないようであったとしておきます。また、周りはと言うと、これまた表現ができないほど素晴らしく、様々な光に輝きながら見え、更に空気の果てまでこれ以上気分のよい温度や湿度、そして環境状態はないと表現しなければならないようであったとしておきます。

  気功治療,効果,気功法,整体,気功やり方自分自身の意識はと言うと、まるで透明人間にでもなったように見え、そして感じるのですが、床に座っていたり立っていると言うものではなく、宙に浮いていて、自分の意思にて自由に行動もでき、更に何の障害も無く自由自在に建物は勿論、池や木々の中を潜り抜ける事も自由であり、そしてその建物や庭の石や木々などとも同化もできるので、自分自身がその建物や木々になったように見えたり、感じたりもするのです。そのような、全く理解に苦しむ事が頻繁にあったのです。

 ここに書き記されたいずれの例も、様々な色にて輝きながら見えるものは、全て形があるようにも見えるのですが、よくよく見ると、すべてが在るようで無いような、透き通っているような、何とも表現に困るようであったのです。しかし、想像を超えた素晴らしさは感じられ、これこそ極楽浄土なのかも知れない、と思ったできごとであったのです。とにもかくにも、周りに存在するあらゆるもの全てが、例えようもないほど様々な光に輝くと共に、表現の方法がないほど素晴らしく感じただけではなく、安堵感と幸福感があると記述しておきます。その時の心の安堵感や安らぎは、どのように表現したらよいのか分からないほどであり、表現をしようにもしようがない、と記述する以外にはないと述べておきます。それほど素晴らしい体験なのです。

  気功治療,効果,気功法,整体,気功やり方幽霊などと称されている姿を見ていた時期も、六か月間ぐらいあったのですが、この幽霊と思われるものが見える場合においても、確かに自分のごく近くに見えていますが、恐ろしくもなく、悪さをする事もなく、こちら側から話し掛けようと何をしようと変化はなく、また更に、肉体があるように見えるのですが、私が幽体離脱をした時の状況と同じで、その幽霊もまた、すべての物を難なく通過しているようにも感じるのです。

  気功治療,効果,気功法,整体,気功やり方ところで、例え幽霊と称するものが見えたとしても、その幽霊に対して意識を取られ、惑わされてはならないとされています。霊の次元の世界などではなく、神の次元の世界を目指して修行を積んでいるのであり、霊が見えるとか、霊の事がわかるなどと言う方は、霊を意識する事により、自分自身の意識を霊の次元と共鳴させている事になります。よって、霊を見たとか、霊が見えるなどと自慢するものではないのです。霊が見えるとは、霊の次元と共鳴している事を物語るものであり、次元の低い位置に自分の意識がある事なのですから注意すべきです。また、霊が見える場合には、貴方の意識が霊の次元に共鳴している事であり、心のあり方が、まだまだの状態である事を認識しなければならないような気がいたします。

 よく亡くなった方を表現する場合には、白の装束であり、頭には白の頭巾を描く事が当然のようになっています。しかし、そのような格好の姿は、私が見た限りでは一度もなく、普段の生活にて着ていた服装であった事が印象に残っています。

 

 

 

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